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福岡地方裁判所 昭和33年(行)2号 判決 1963年1月22日

原告 尾関孝 外一名

被告 福岡県知事 外一名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告らは「被告福岡県知事が昭和三二年一二月二八日附福岡県三二農第四、一五七号をもつてなした農地法第五条による別紙目録記載の土地二筆についての所有権移転許可の取消処分は無効であることを確認する。もし無効でないとすれば、右許可取消処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因を次のとおり述べた。

一、原告らが、別紙目録記載の土地二筆(以下、本件土地ともいう)を前所有者綾部新太郎、井上ヒトヱから譲り受けるにつき被告福岡県知事に対し農地法第五条の規定により宅地に転用するための所有権移転許可申請をなしたところ、被告は昭和二九年六月二八日附をもつて「通路用地として使用すること」の条件をつけてこれを許可した。

しかしその後被告は、原告らに対し昭和三二年一二月二八日附福岡県三二農第四、一五七号をもつて「現在まで右許可に付せられた条件が実現に至らず、しかも客観的に見て将来ともその条件の実現の見込みなきによる」との理由により、本件土地にかかる右許可処分を取消す旨の通知を発し、右は同月二九日原告らに交付された。

二、しかしながら、右許可取消処分は、次のような理由により違法である。

(一)  農地法第五条に基く所有権移転許可処分については、これを取り消し得る旨の明文の規定がない。

(二)  原告らが本件土地の所有権取得につき被告の本件許可処分を得た当時、既に原告ら所有の久留米市野中町字高島屋敷一、〇八八番地と七本杉県道久留米日田線との間には公道が存在していたので、原告らは、その道路を二間幅道路に拡張、整備せんがため、その道路に沿つている本件土地並びに同町字西炭焼九七〇番地の一一用水路二歩及び同町字栗林一、〇一五番地の一〇用水路五歩を買受け道路を完成させんとしていたところ、昭和三〇年三月訴外ブリヂストンタイヤ株式会社(以下単に訴外会社ともいう)は、原告らと協力して字高島屋敷一、〇八八番地と七本杉県道との間に二間幅道路を敷設し、これを久留米市に上地しようと原告らに申入れたので、原告らは右申入れを承諾し、道路予定地の地形修整のため土地交換契約書まで作成された程で、本件許可処分に付せられた条件の履行どころか更に立派な道路ができる筈であつた。ところが、訴外会社は、原告に無断で本件土地並びに右公道上に種々の施設を設置し、石橋文化センターを建設し、右施設を久留米市に寄贈し、同市市長杉本勝次は同市議会に諮り、その承諾を得た後において、その寄贈を受納すべき責務があるのに拘らず、これを為さずして単独で、即ち違法の手続で寄贈を受けたのである。そこで、原告らは訴外会社社長石橋正二郎及び久留米市長杉本勝次両名を往来妨害、公文書偽造行使、建築法違反の罪名で検察当局に告訴し、同市長に対しては右建物取除請求事件として提訴している。

原告においては本件許可に付せられた条件履行の意思はあり、前述の様な訴外会社及び久留米市の不法行為による妨害物が排除されれば右条件実現は可能であるにも拘らず、これを看過して一方的に本件許可処分を取消した。

(三)  本件許可取消処分は、本件土地が既に宅地化され、その地上に種々の施設が存し、周辺の土地はすべて宅地であること等よりみて、再びこれを農地に還元させることは、公益に反し実現困難であるか実現不可能であるのに拘らず、これが実現を強いるものである。

(四)  本件許可取消処分の結果、非農家である前所有者に農地を所有せしめることになる。

(五)  本件許可取消処分は、久留米市農業委員会及び福岡県農業委員会における本件許可取消に関する違法な決議に基いてなされている。

よつて、被告に対し本件許可取消処分の無効なることの確認を求める。若し無効でないとせられるときは、これが取消を求める。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁及び主張として次のように述べた。

一  請求原因一の事実は認める。

二  本件許可取消処分に至る経過及び取消が適法である理由は次のとおりである。

(一)  別紙目録記載一の土地の前所有者は綾部新太郎、同二の土地の前所有者は井上ヒトヱであり、右前所有者らは自作農創設特別措置法第一六条の規定により、それぞれ右各土地を国から売渡を受けて取得した。

そこで、原告らは、本件土地を前所有者から譲り受けるにつき、昭和二九年三月二九日附をもつて「原告らは、久留米市野中町字高島屋敷一、〇八八番地の所有地に病院を建築する予定であるが、この土地は県道にも接せず、建築工事にも支障をきたし、また病院経営も不可能であるから、幅員二間の道路を新設し、その道路敷地として本件土地二筆を使用する故、これが所有権を取得することの許可を求める」旨をもつて、被告福岡県知事に対し農地法第五条の規定により宅地に転用するための所有権移転許可申請をしたのであるが、被告としては、右申請にいうが如く、真に原告が病院を建設するものであり、そのため道路を開設するものであるならば、附近の住民、土地に対し利便を供与し、公共の利益に合致するところであるとの考慮の下に、特別に右申請に対し本件許可を与えたものであつて、その故に特に「通路用地として使用すること」の条件をつけて許可したのであつた。従つて右条件の趣旨が「原告らの申請書に記載の様な道路敷地として使用すること」の趣旨であることも、申請書(乙第一六号証)に照らして明らかといわねばならない。

ところが、原告らは字高島屋敷一、〇八八番地の原告らの所有地と七本杉県道久留米日田線との間に公道が存在したものの如く主張するけれども、その間にあつたのは、本件土地二筆の外に、(い)久留米市野中町字蓮輪一、〇九三番地の三、(ろ)同所一、〇九五番地の三、(は)同町字西炭焼九七四番地の六、(に)同所九七五番地、(ほ)同町字栗林一、〇一五番地の二、(へ)同所一、〇一五番地の一〇、(と)同町字西炭焼九八一番地の一、(ち)同所九八一番地の七その他の私有地のみであつて正式に道路として認定せられたものは全然なかつたのである。但し、その間に多くの人が同町字西炭焼九七三番地の墓地への近道として、右私有地を通行したり、或いは田の畦道として作られたものはあつたようであるが、これが為それらが直ちに公道となるものではないこと勿論であるのみならず、その幅員の如きもせいぜい一間足らずにすぎなかつた。故に、原告らが右許可申請にいうが如き道路を開設せんがためには、右等の関係土地の全部或いは一部を買取るか、もしくは関係土地所有者の土地提供をまたねばならなかつた訳である。

然るに、訴外会社においては、既にその以前から訴外会社社長石橋正二郎の発案構想に基き、同会社創立二五周年記念事業の一環として、美術館、音楽堂、スポーツ設備等を完備する公園式文化施設、いわゆる石橋文化センターを久留米市野中町に建設し、これを久留米市に寄贈して、もつて公共の福祉に資すべく計画しており、これが実現のため着々本件土地附近の土地を買収し、前記(に)(ほ)(と)(ち)の土地の如きは既に昭和二五年中に訴外会社の所有に帰し、昭和二七年中にその所有権取得登記がなされ、更に(ろ)(は)の土地は昭和二八年一一月二〇日に、又(い)の土地は昭和二九年三月二〇日にそれぞれ訴外会社の所有に帰し、昭和三〇年二月中にはその所有権取得登記がなされていた。

一方、訴外会社は、昭和二九年九月石橋文化センターを建設してこれを久留米市に寄贈したい旨の正式申出をなし、これを世上に公表した。このことは久留米市としても喜ばしい事であるから、その速やかな実現を期待し、なるべく規模の大きい完備した施設ができる様協力することとなり、当時の市長山下善助は、昭和三〇年から数次にわたり、原告ら所有の本件土地のみならず、字高島屋敷一、〇八八番地の土地を併せて久留米市に売渡して貰いたい旨交渉したところ、原告らは、値段次第では売却してよい様な態度を示した。而して昭和三〇年一月には、本件土地の東方にある墓地(字西炭焼九七三番地墓地一四九坪)も、その所有者から文化施設の用地として市に寄贈されることになり、工事も次第に進捗し、本件土地等をも施設の一部に取入れて、これが工事を進める必要を生じたことから、昭和三一年二月上旬頃工事者たる訴外会社より久留米市長に対し本件土地に工事を為すにつき原告らの同意を求められたい旨の要望があつたので、山下市長はその頃久留米市荘島町の原告らの当時の居宅に赴き、本件土地譲り受けの話は後日に纒めるとして、兎も角も本件土地に施設の工事をさせて頂きたい旨を申し入れたところ、原告らはこれを承諾した。よつて山下市長より同市秘書課長楢原行男を通じてその旨を訴外会社に伝え、かくして訴外会社は既定の計画に基いて工事をなし、同年四月に竣工した次第であるが、その工事中も原告らはしばしば工事現場に臨み、工事進捗の状況を認め乍ら別段異議もいわず、工事の差し留めもしなかつた。

ところが、原告らは、昭和三一年四月二六日の石橋文化センター開園式の直前頃に至つて、突然「ブリヂストンタイヤ株式会社が勝手に自分の土地を使用している」旨をいい出した。これは市としても訴外会社としても誠に意外とするところであつたが、兎も角も同日に開園式及び久留米市に対する寄贈式(これには原告ら夫妻も臨席した)を行い、次で同年五月三一日の市議会において訴外会社より市への寄附を受けることを正式に議決し、かくして石橋文化センター施設中、原告ら所有の本件土地及び字西炭焼九七〇番地の一一用水路二歩並びに訴外綾部新太郎所有の字栗林一、〇一五番地の一〇用水路五歩とを除くほかは、全部久留米市の所有となり、その後公共施設として一般に公開されて来た。而して、その後も後任市長杉本勝次、井上助役、楢原秘書課長らにおいて、原告らとの間の事態を拾収し、原告ら所有の土地を市に譲り受くべく努力したけれども、原告らが不当に莫大な金額を要求したりなどしたため、遂に妥結に至らず、昭和三二年八月中旬頃原告らは、本件土地や前記用水路二筆の周囲を板塀を以て囲み、その中に木造小屋を建てたりして、石橋文化センターの美観、風致を害し、その施設の利用、管理を妨害するの挙にでるのみならず、同年一〇月には福岡地方裁判所久留米支部に石橋文化センター施設の一部たる野外音楽堂の階段のうち本件土地にかかる部分や児童用スベリ台その他の取除きを求める訴(同庁昭和三二年(ワ)第一六二号)を提起するに至つた。

もともと、原告尾関孝は医師であり、終戦後は昭和二一年久留米市櫛原町二丁目において診療所開設届をなしたものの何等実際の診療施設を有せず、また患者の診療も殆んど為して居らず、昭和二五年八月には病室廃止届を提出し、同年九月には右診療所の休止届をなした。その後昭和二八年一二月には診療所再開の届出をなしたが、事実上の診療施設も有せず、また患者の診療も為さなかつたのである。

のみならず、原告尾関孝は、医師でありながら、かねて土地の売買によつて利益をあげることに異常の興味を有するものの如く、現に昭和二二年五月から昭和三一年三月末まで自ら久留米市土地区画整理委員の地位にありながら、右期間内だけでも原告ら両名名義或いは単独名義をもつて区画整理地区内の土地を買得してこれを他に転売したものが二〇数筆に及ぶのである。加うるに字高島屋敷一、〇八八番地の土地たるや昭和二八年九月頃までは雑木、笹などの生い茂つた未開の山林であつて、その後昭和三二年に前記の如く久留米市との間に紛争問題を起すに至るまでは、全くこれを放置していたのであるが、紛争を生ずるや、原告らは俄かにこの土地を開拓し、家屋の建築などに着手したものである。

(二)  以上の経緯や諸事情に徴するとき、もともと原告らは、真面目に字高島屋敷一、〇八八番地の土地に病院を開設するの意思なく、また本件土地の如きも真に道路敷設をする意思がないのに拘らず、逸早く石橋文化センターの計画を知つて将来本件土地が重要性を有するに至るべきことを察知し、これを利用して多大の利得を為さんとする意図を有しながらこれを秘し、病院開設、道路敷設の名の下に農地法第五条所定の許可申請をして被告を欺罔したものであると推測されるのであるから、被告のなした本件許可処分はこのような欺罔に基いてなされた瑕疵ある行政処分というべく、この点からみて本件許可取消処分の適法なことは明白である。

(三)  仮に然らずとするも、前述の如く本件土地は既に原告らの許諾の下に石橋文化センターの施設の一部に包摂せられ、今や原告ら主張の如き道路を開設することは、事実上不可能の状態になつているのである。即ち、原告らは、本件土地についての許可の条件たる「道路を開設しこれに使用すること」を履行せざるのみか、既にその履行不可能の状態となつているのである。しかも原告ら所有の字高島屋敷一、〇八八番地は決して袋地ではなく、その南方は公道に通じているのである故にこの点からのみしても、本件許可取消処分は決して違法不当な処分ではないのである。

(四)  加うるに、今や石橋文化センターは久留米市が全国に誇り得る最も近代的な文化施設として公衆に多大の利益を供しているのであるが、この文化センターの中枢部に、原告らは自己の所有地であるからとて本件土地に前述の如く板囲をし、小屋を作つたりしているのであつて、その為石橋文化センターの美観、風致を損じ、公衆に不快の感を与えるのみならず施設の利用、管理を害すること甚しいものであつて、これ全く原告らが私利を先にし、公共の利益を省みないものといわざるを得ない。もしそれ本件土地について先に為した許可を取消し、その所有権を前所有者に復帰せしめるにおいては、或いは文化センターに風致を添える様な花壇栽植用の耕地として使用することも可能であり、或いはまたその他の公共用目的のために転用することも考え得られるところであり、現に前所有者綾部新太郎、井上ヒトヱにおいても全くこれらにつき異議のないところであるから、本件土地につきさきに為した本件許可処分を維持することはむしろ公益に反するものであり、反つてこれを取消すことこそ公共の利益に適合するものである。

(五)  故に、本件許可取消処分は当然無効でないことは勿論、決して取り消さるべきものではない。

(証拠省略)

理由

原告らが、別紙目録記載の土地二筆を前所有者綾部新太郎、井上ヒトヱから譲り受けるにつき、被告福岡県知事に対し農地法第五条により宅地に転用するための所有権移転許可申請をなしたところ、被告が昭和二九年六月二八日附をもつて「通路用地として使用すること」の条件をつけてこれを許可したこと、しかし、その後被告が原告らに対し昭和三二年一二月二八日附福岡県三二農第四、一五七号をもつて「現在まで右許可に付せられた条件が実現に至らず、しかも客観的に見て将来ともその条件の実現の見込みなきによる」との理由により、本件土地にかかる右許可処分を取消す旨の通知を発し、右は同月二九日原告らに交付されたことは、当事者間に争いがない。

原告らは、先ず、本件許可処分についてはこれを取り消し得る旨の明文の規定がないから、被告の本件許可取消処分は違法である旨主張する。そもそも農地法第五条の知事の許可は、農地の潰廃を目的として所有権を移転させることが、農地法の立法趣旨に照らし、国民経済上適当であるかどうか、隣接土地の利用関係等からみて公共の利益に合するかどうかという公益的見地から許否を決すべく、その許可処分は、その対象たる私法上の所有権移転の効力を完成せしめる行政処分であるが、当該行政庁(県知事)は、当該許可処分に取消し得べき瑕疵が存するとか、当事者が右許可処分に付せられた条件(農地法第五条第二項、第三条第三項参照)に違背したとか、その他事情の変更があつた場合において右許可処分により形成された法律状態を持続せしめることが公共の利益に反し、これを取消さなければならない公益上の必要があるときは、明文の規定をまつまでもなく、自ら右許可処分を取り消すことができると解するを相当とする。従つてこの点に関する原告らの主張は理由がない。

そこで、本件許可取消処分は、被告の主張するような経過により適法になされたかどうかについて審按する。

いずれも成立に争いのない甲第一号証の四、乙第一号証の一・三、第二号証の一・二、第一六号証、証人久良木酉夫、下川登喜太、高嶋勇、綾部清太、藤田佐統の各証言及び原告尾関孝の本人尋問の結果を綜合すれば、原告尾関孝は、久留米市櫛原町三四番地において大正六年八月から内科専門医として医業を営んでいたところ、昭和二五年八月頃病室の廃止届を提出し休業したが、昭和二八年九月一日呼吸器病及び精神病の療養所を建設しこれを経営する目的で久留米市野中町字高島屋敷一、〇八八番地山林(後に宅地と地目を変更した)一、〇五九坪を買受けたこと、右字高島屋敷一、〇八八番地は県道に接しなかつたので、原告らは、県道に通ずる道路を敷設するため本件土地を買求めようとしたところ、本件土地はいずれも前所有者において自作農創設特別措置法第一六条の規定により国から売渡を受けた農地であつたため、原告らは本件土地を前所有者綾部新太郎(別紙目録記載一の土地)、井上ヒトヱ(同二の土地)から譲り受けるにつき、昭和二九年三月一八日附をもつて「原告らは本件土地の南側に約三、〇〇〇坪の土地を所有し、内科、小児科の病院を建築する予定ですが、日田県道に接せず、僅かに車力の通る位の道があるのみにして建築工事にも差支え、又病院経営も不可能ですから日田県道より幅員二間の道路を新設し、病院内を通つて南側に隣接する市営住宅及び養老院等に直接通行出来る様にし、災害等の際は自動車ポンプ等の通行を便ならしめたい」旨の事由をもつて、被告に対し農地法第五条の規定により宅地に転用するための所有権移転許可申請をしたところ、被告は昭和二九年六月二八日附をもつて「道路として使用すること」との条件を付してその許可を与えたことが認められ、右条件の趣旨が「原告らの申請にかかる道路敷地として使用すること」の趣旨であることは明らかである。右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、原告はその所有地である字高島屋敷一、〇八八番地と七本杉県道久留米日田線との間に公道が存在したので、原告らはその道路を二間幅道路に拡張、整備せんがためには、その道路に沿つている本件土地並びに字西炭焼九七〇番地の一一用水路二歩及び字栗林一、〇一五番地の一〇用水路五歩を必要としたに止まりこれらの土地を買受けたことにより本件許可処分に付せられた条件の履行は可能であるが、訴外ブリヂストンタイヤ株式会社及び久留米市の不法行為に妨害されている旨主張するが、いずれも成立に争いのない甲第二号証、第二九号証の一・二、乙第四号証の一ないし四、第六号証、証人末永義夫、森田重一、萩尾勇、佐藤半蔵、下川登喜太、高嶋勇、吉原良夫、筒井周造(但し、後記のとおり信用しない部分を除く)、江崎イサヲ、竜頭文吉郎、田中マサヨの各証言、原告尾関孝の本人尋問の結果及び検証(第一回)の結果に弁論の全趣旨を併せ考えると、原告らがその主張にかかる道路を敷設するには、本件土地二筆のほかに、(い)字蓮輪一、〇九三番地の三、(ろ)同所一、〇九五番地の三、(は)字西炭焼九七四番地の六、(に)同所九七五番地、(ほ)字栗林一、〇一五番地の二、(へ)同所一、〇一五番地の一〇、(と)字西炭焼九八一番地の一、(ち)同所九八一番地の七、(り)同所九七〇番地の一一の各私有地の全部或いは一部を必要とすること、昭和一三年頃右(ほ)(ち)の東側にその隣接地字西炭焼九七〇番地の三、及び同所九八一番地の六の西縁に沿つて下水溝が設けられて、右(ほ)(ち)のうちその附近が整地されてから自然に字西炭焼九七三番地の墓地に参る人、附近の田を耕作する農民達がそこを通つて右(へ)(り)の用水路及び本件土地のうち字西炭焼九七〇番地の一〇の西縁に沿つて右(ほ)(ち)(は)に設けられていた畦道を通行するようになり、右墓地に至る道路(但し幅員は広いところで一間足らず)及びその道路から本件土地のうち字蓮輪一、〇九五番地の一の南側の畦道に出て原告ら所有の字高島屋敷一、〇八八番地に至る踏分道が右(は)の土地内に存したこと、しかし右各土地(特に道についても)については国又は公共団体等は何等の権限をも有せず、右道路は原告ら主張の如き公道ではなかつたことが認められる。証人筒井周造、辻喜代太、高村輝重(第二回)、藤田佐統の各証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用することができず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

然るに、成立に争いのない乙第三号証の一ないし八、証人竜頭文吉郎、佐藤半蔵、山下善助の各証言によれば、訴外ブリヂストンタイヤ株式会社社長石橋正二郎は、かねてより機会があれば美術館・音楽堂・スポーツ設備等を完備する公園式文化施設を建設して久留米市に寄贈し、もつて公共の福祉の増進に寄与したいという構想を抱いていたが昭和二八年六月頃これより先に買受けて訴外会社所有になつていた前記(に)(ほ)(と)(ち)の土地を中心にその計画の実現を期すことを明らかにし、昭和二九年九月久留米市にその旨を正式申出をなし、これを世上に発表したこと、このことは久留米市としても喜ばしい事であるからその速やかな実現を期し、なるべく規模の大きい完備した施設ができる様協力することとなり、久留米市が、昭和二九年九月四日前記(い)の土地を、昭和二九年一一月一五日前記(ろ)(は)の各土地を買受けその所有権を取得したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

従つて、原告らがその主張にかかる道路を敷設せんがためには前記各土地の所有者からその土地を譲り受けるとか道路敷として借地するとかして道路敷地の提供を受けねばならなかつたのである。

もつとも、いずれも成立に争いのない甲第二号証、第六号証の一・二、乙第七号証の一・二、証人佐藤半蔵、末永義夫の各証言及び原告尾関孝の本人尋問の結果によれば、原告ら側から訴外会社に対し道路に供するため訴外会社所有の前記(に)(ほ)(と)(ち)の土地のうち一部を譲渡して貰いたい旨申し入れていたが、他方訴外会社は右文化施設の敷地として本件土地を必要としていたところから原告らと訴外会社との間において昭和三〇年四月頃原告らは、本件土地及び字西炭焼九七〇番地の一一用水路二歩と訴外会社所有の字蓮輪一、〇九六番地の二田三畝一七歩とを互に交換する、訴外会社はその所有にかかる字西炭焼九七〇番地の一三田一九歩、同所九七〇番地の二〇用水路一歩、同所九七〇番地の一五田二歩、字蓮輪一、〇九五番地の一のうち二九坪一合四勺を久留米市において石橋文化センター東側より市営住宅に通ずる幅員二間の道路を新設する際、道路敷として無償提供する、但し道路新設促進は原告らにおいて実施する旨の土地交換契約が締結されようとしたが原告らの異議申立により不成立に終つたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そして、いずれも成立に争いのない甲第一〇・一一号証、第二〇号証、第二五号証、第三一号証、第三四・三五号証の各一・二、第三六号証、乙第一七・一八号証の各一・二、第一九号証、証人辻喜代太、土屋香鹿、野口清隆、佐藤半蔵、山下善助、藤田英一、立石与一、近藤徳之助の各証言及び検証(第一回)の結果を綜合すれば、訴外会社が昭和三〇年四月二六日石橋文化センター起工式を行い、工事を施行するかたわら、なおも久留米市は原告らとの間において本件土地の譲渡方を幾度となく交渉したが、それが進展しないでいる間に、昭和三一年一月頃本件土地の東方にある字西炭焼九七三番地墓地一四九坪がその所有者から文化施設の用地として市に寄贈されることになり、ここに野外音楽堂を建築することになつたが、その施設の一部が本件土地にかかるため昭和三一年二月上旬頃工事者たる訴外会社より久留米市長に対し原告ら所有地に工事をなすにつき原告らの同意を求められたいと要望があつたので、山下市長は、その頃久留米市荘島町の原告ら方に赴き、本件土地譲り受けの話は充分済んではいないが、本件土地にかかる施設工事は工事として進められるようにお願いします旨申し入れたところ、原告らは、本件土地にかかる施設工事を施行することを承諾したこと、そこで同市長は直ちにその旨を訴外会社に通知し、訴外会社は既定の計画に基いて工事をなし、同年四月二六日には竣工し、同日文化施設一切を久留米市に寄贈したこと、右工事中原告尾関孝はしばしば工事現場に臨み、工事進捗の状況を認め乍ら別段異議もいわず、工事の差し留めもしなかつたこと、同年五月三一日の市議会において訴外会社より市への寄附を受けることを正式に議決し、かくして石橋文化センター施設中、原告ら所有の本件土地及び字西炭焼九七〇番地の一一用水路二歩と訴外綾部新太郎所有の字栗林一、〇一五番地の一〇用水路五歩を除くほかは全部久留米市の所有となり、その後石橋文化センターは公共施設として一般公開されて来ていること、その後も久留米市当局においては原告らとの間の事態を拾収して本件土地を市に譲り受けるべく努力したけれども、原告らが不当に莫大な金額を要求したりなどしたため遂に妥結するに至らず、昭和三二年八月中旬頃原告らは前記土地四筆の周囲を板塀を以て囲み、その中に木造小屋を建てたりして文化センターの美観、風致を害し、右施設の利用、管理を妨害する挙にでたのみならず、同年一〇月には、福岡地方裁判所久留米支部に石橋文化センター施設の一部たる野外音楽堂の階段のうち本件土地にかかる部分や、児童用スベリ台等の施設の取除きを求める訴(同庁昭和三二年(ワ)第一六二号)を提起するに至つたこと、そこで昭和三二年九月二六日久留米市農業委員会は本件許可処分につき石橋文化センター建設のため道路敷設地としては全然不可能になつたとの理由で取り消さるべきである旨被告に進達したこと、他方、久留米市議会では、これが円満解決のため文化センター土地対策委員会を設置し、同月一三日から同年一二月二六日までの間五回にわたり原告らと本件土地問題について交渉したが妥結するに至らなかつたこと、その間、被告は原告らに対し同月二三日付文書をもつて本件土地につき関係当局と折衝し、円満解決されるよう要望する、なお同月二七日午後一時までに円満解決を見ない場合は本件許可処分を取消す旨通知したこと、そして同月二八日附許可取消通知書をもつて本件許可取消処分がなされたことが認められ、成立に争いのない甲第三七号証の供述記載、原告尾関孝の本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信することができず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

よつて、進んで被告主張の本件許可取消処分の適法理由について考えるに、被告は本件許可処分は原告らの欺罔にもとづく瑕疵あるものであるからその取消は適法である旨主張するが、以上認定の経緯にかんがみれば、原告らに被告を欺罔する行為があつたものとは認められない。従つてこの点に関する被告の主張は採用することができない。

次に、被告は本件許可処分に付せられた条件を原告らにおいて履行せざるのみか、既にその履行不可能の状態となつているから右許可処分の取消は適法である旨主張する。前記認定の事実に基いて考えると、本件土地は既に原告らの許諾を得て久留米市所有の石橋文化センターという公共施設に包摂せられ、久留米市としては原告ら所有の土地を購入して施設を拡張整備する考えはあつても、右公共施設内に原告ら主張の如き道路の敷設を許容するとは思料されず、現に本件許可処分に付せられた条件を原告らにおいて履行していないのみか、今やその履行は不可能の状態にあるというべきである。しかも他面において石橋文化センターは久留米市が全国に誇り得る最も近代的な文化施設として公衆に多大の利益を供している(この事実は公知の事実である)のであるが、前記認定の如く、原告らは、自己の所有地であるからとて、石橋文化センター施設の中枢部にある本件土地に板囲をなし、小屋を作つたりなどして施設の美観・風致を損じ、公衆に不快の感を与えるのみならず、施設の利用管理を害しているのであつて、このような状態の下では、文化センターの健全な維持発展を期待することは、とうてい不可能である。以上のように、原告らは本件許可処分により一旦適法有効に本件土地の所有権を取得したのであるが、右許可に付せられた条件の履行が全く不能になつたという事情の変更があり、他面本件許可処分により形成された法律状態すなわち本件土地に対する原告らの所有を存続させることは著しく公共の利益に反することとなるので、そのような不当状態を除却するため、本件許可処分により付与された原告らの権利を奪い去る結果とはなるけれども、なお且つ該処分を取消す(正確にいえば、処分の効力を将来に向つてのみ失わしめる、いわゆる処分の撤回に該当する)だけの公益上の必要性あるものと解するを相当とする。従つて被告のなした本件許可取消処分は適法なものと認めなければならない。

なお、原告は、被告のなした本件許可取消処分は本件土地が既に宅地化され、その地上に種々の施設が存し、周辺の土地はすべて宅地であること等よりみて、再びこれを農地に還元することは公益に反し、実現困難であるか実現不可能であるのに拘らず、これが実現を強いるものであるから違法である旨主張するが、本件許可の取消は前記のとおり、許可の対象となつた農地の潰廃を目的とする私法上の所有権移転の効力を将来に向つて消滅せしめる行為にすぎず、当事者に対し農地に回復せしめることを義務づけるものではなく、右取消の結果生ずる農地を宅地に転用しているという違法状態の消滅は、関係当事者、行政庁等による解決に委ねられ、必ず農地に回復しなければ、取消によつて期待される公益の実現が期し難いというのではないから、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

又、原告らは、本件許可取消処分の結果非農家である前所有者に農地を所有せしめることになるから違法である旨主張するが、そのように解しなければならない何らの根拠もなく、右主張も採用し難い。

最後に、原告らは、本件許可取消処分は久留米市農業委員会及び福岡県農業委員会における本件許可取消処分に関する違法な決議に基いてなされているから違法である旨主張するが、農地法第五条第二項、第四条第二項は、知事が許可をしようとする場合は県農業会議の意見聴取を要する旨規定するのみで、許可の取消については何らの規定もなく、従つて知事は許可の取消については専権的にこれを為す権限を有するものと解すべきであるから、この点に関する原告らの主張も採用し難い。

叙上の如く原告ら主張はいずれも認め難く、本件許可取消処分に無効又は取り消し得べき瑕疵が存するものとは認められない。

よつて、原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩永金次郎 武田正彦 鐘尾彰文)

(別紙)

目録

一、久留米市野中町字西炭焼九七〇番地の一〇

田 一畝一歩

二、同市同町字蓮輪一、〇九五番地の一

田 二畝一九歩

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